バズビーズチェアとは?
バズビーズチェア(Busby’s chair)はイギリスのノース・ヨークシャ州で絞首刑に処された殺人者:トーマス・バズビーの亡霊に取り憑かれ、呪われていると伝えられている。
「ザ・バズビー・ストゥープ・チェア」や「デッドマンズ・チェア」とも呼ばれている。
現在はサースク博物館の「The Cottage Kitchan(コテージ・キッチン)」に展示されている。
日本ではオカルト雑誌「ムー」103号(1989年6月号)で紹介された。
これが最恐の椅子 バズビーズチェアだ。
犯罪と呪い…?
バズビーは1702年に義理の父であるダニエル・オーティを殺害した罪により逮捕され、死刑が確定。
伝えられたところによるとそれ以来この椅子に腰を掛けた63人が程なく死亡するという事態が相次ぎ、巷では「バズビーの亡霊に取り憑かれた」という噂されるように…
伝説
バズビーは「偽金作りの大酒のみ」という凄い何とも言い難い人だったという。村の美女である富豪の娘のエリザベス・オーティと結婚したが、彼女に父であるダニエルは結婚に反対していた。
ある日、バズビーが自宅に帰宅後、義父のダニエルが自分のお気に入りの椅子に座っていたのだ。
その時ダニエルは「娘を家に連れて帰るためにここにいるんだ!」と言っていたがバズビーはこれを拒否。
その夜、自宅のベッドでダニエルを絞殺した。(ダニエルの資産を狙ったバズビーが殴殺したという説)
その後、エリザベスと共に暮らした宿のわきのサンドハットン十字路でバズビーは絞首刑に処された。
処刑される前に「俺の椅子に座る奴に呪いをかけてやる!!」という呪詛となる言葉を残したという。
宿はその後、バズビー・ストゥープ・インという名のパブになり「有名な死刑囚の椅子がある」と有名になった。
その際、ふざけて座った人々が次々に死亡した。
死亡者が増えたためバズビー・ストゥープ・インは2012年に閉業した。
死者
この椅子に座って亡くなったと伝わる人のうち、2人はイギリス空軍 を含む数人の死亡が
ウィークリー・ワールド・ニュース誌によって報道される。この報道で「今まで死者が61人を出した」
と報じた。この新聞は度々この椅子に関する記事を出しており、1990年・1992年・1995年・2000年にも新たな犠牲者がでた。
1990年~の犠牲者と理由
- 1990年 62人目の犠牲者:記者のジョナサン・シムス 着座後2時間後に滑ってバスタブにぶつかる。
- 1992年 63人目の犠牲者:家具修理工のカーロー・パニーニ 着座後1時間後に自動車事故。
- 1995年 64人目の犠牲者:簿記のアン・コネレター 着座後30分にも満たないうちにエレベーターから転落。
- 2000年65人目の犠牲者:アメリカ留学生のメリッサ・ドロニー 経過時間は不明だが、野犬に襲われた。
最終的に椅子は座られることを避けるために、サースク博物館の天井から吊り下げられた。
サースク博物館 地図↴