沖縄県糸満市にあるひめゆりの塔。
そこは戦場の悲劇と共に、今もなお語り継がれる恐怖の心霊スポットでもある。
1945年の沖縄戦「ひめゆり学徒部隊」と呼ばれる女学生たちは、戦場へ向かわなければいけなかった。
果たしてひめゆりの塔で起こる心霊現象は、単なる噂なのか…それとも?
今回は、【沖縄最恐】ひめゆりの塔の悲劇と戦場に散った少女たちの魂は今も…について紹介しよう!
ひめゆりの塔の歴史とは?
ひめゆりの塔(沖縄県糸満市)は、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒隊の慰霊碑が建てられた場所。
沖縄戦の悲劇を象徴する史跡の一つで、今も多くの観光客が訪れる慰霊の地となっている。

詳しい内容を一緒に見ていこう!
ひめゆり学徒隊とは
1944年の太平洋戦争末期、沖縄が戦場となる可能性が高まる中、日本軍は看護要員の不足を補うため、女子学生の動員を決定。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちは、看護訓練を受け、戦場での医療活動を担うことに!
両校の愛称が「ひめゆり」であったことから、彼女たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった。



いわば「日本のナイチンゲール」的な存在だったのね…。
詳しい内容
1945年3月、ひめゆり学徒隊は沖縄陸軍病院に動員され、負傷兵の看護や医療補助に従事することになった。
戦況が悪化する中、彼女たちは過酷な状況下で昼夜を問わず働き多くの負傷兵の命を救うこととなる。
しかし戦況の悪化とともに、彼女たち自身も危険にさらされるようになってしまう…。



危険って何があるんだろう…?
解散命令
1945年6月18日に、軍は学徒隊を解散命令を出して、学徒部隊に各自の判断で行動するように命じたのであった。
避難先も何も与えられずに、ただ戦場に放り出される形になる…。



解散命令出すだけで何もしないなんて…



どうなるんだワン!?
悲劇
日本軍が解散命令を出した後、アメリカ軍の攻撃が激化し次々と犠牲になってしまう。
沖縄戦で、洞窟にいた日本兵や住人などを火炎放射器を使って攻撃することが多くあった。
地下壕にいたひめゆり学徒隊や負傷兵なども、犠牲になった可能性もあるというのだ。
解散命令後に、絶望した女学生たちが「戦争で死ぬくらいなら…」ということで、手榴弾で自決する子もいたんだとか!



そんな若い子が自決するなんてどんな覚悟だったんだろう。
結果として、240名のうち136名が命を落としてしまったのだ。
この悲劇を忘れないために、1946年に遺族らによって「ひめゆりの塔」が建立されたという。
ひめゆりの塔の心霊現象は?
沖縄戦の激戦地であり、多くの若い命が失われた場所だけに心霊現象が後を絶たない。
以下に、場所ごとに心霊現象をまとめてみた。



それでは見ていこう!
- 夜になると白い服の少女の霊が現れる
- すすり泣く声が聞こえる
- 無数の手が伸びてくる
写真を撮ると、必ず手が多く写ったりするのだとか。
昼間でも、すすり泣く声が聞こえたりすることが多く聞こえるという。
ひめゆりの塔の近くには、かつて学徒部隊が働いていた地下壕がある。
ここでは特に心霊現象が多いんだとか…
- 地下壕の中で少女の声が聞こえる
- 「助けて…」と囁き声がする
- 写真を撮ると顔のようなものが写る
この地下壕では、多くの命が失われた場所である。
この地下壕に行くと、体調不良が多く現れるというのだ。
そしてひめゆりの塔周辺で「急に体が重くなる」や「立ちくらみがする」といった報告も多い。



それだけのことがあったから心霊現象が起きるのもおかしくないね!
ひめゆりの塔を訪れる際の注意点
ここは、犠牲となった女の子たちの慰霊の場なので、ふざけたり心霊目的で訪れるのは絶対にNG。
慰霊碑の前に行ったら、手をあわせるなど敬意を持ってほしいというのが個人的にお願いしたいことだ。
霊感が強い人は体調に注意してほしい。
過去に貧血や、めまいなどの体調不良が起きた人も多いという。
日本の戦争の歴史を伝える重要な場所。
怖い話も多いが、それ以上に「沖縄戦の悲劇を忘れないための場所」として考え、訪れることが大切だ。



きちんと敬意を持っていくワン!
いかがだっただろうか
今回は、【沖縄最恐】ひめゆりの塔の悲劇と戦場に散った少女たちの魂は今も…を紹介した。
ひめゆりの塔は、沖縄戦の悲劇を今に伝える重要な慰霊の場であり、多くの命が失われた場所である。
その歴史を知れば知るほど、戦争の残酷さとそこで犠牲になった少女たちの無念さが胸を締め付ける…。
ひめゆりの塔を訪れる際は、単なる心霊スポットとしてではなく「過去の悲劇を忘れないための場所」として敬意を払うことが大切だ。
戦争の犠牲となった多くの少女たちの魂が、少しでも安らかに眠れるように…。
それでは次回のお話しで会おう。