忘れられない過去…S-21強制収容所での苦しみと虐待の物語

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S-21強制収容所とはなにか?

カンボジアの首都プノンペン近郊にあるタオク (Toul Sleng) 地区に位置する、かつてのクメール・ルージュ政権下で使用されていた拷問施設および収容所。この施設は、1975年から1979年にかけてクメール・ルージュによって運営され、数千人の犠牲者が殺害されたとされている。

S-21はもともと学校(トゥオルスレン中学校)だったが、クメール・ルージュ政権下では秘密警察の中枢として機能し、政府の反対派や「敵対者」と見なされた人々が収容・拷問された。収容者たちは虐待、拷問、非人道的な処遇を受け、多くの場合、拷問の末に自白や他者の密告を迫られた。

S-21で収容された人々の多くは、ポル・ポト政権の下で拷問の末に処刑されている。殺害された犠牲者の数は正確にはわかっていないが、数千人から2万人以上に及ぶと推定されている。

現在、S-21はトゥオルスレン博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)として保存され、カンボジアの歴史を訪れる観光客や学生、研究者などが訪れる場所だ。

博物館は収容者の身元、残された遺品、拷問用具などを展示し、カンボジアの過去の暗い時代を記念するための場所となっている。

ポル・ポトとはいったい誰なのか?

ポル・ポト

  • 生年月日 : 1925年5月19日
  • 出生地 : フランス領インドシナ連邦 カンボジア王国 コンポントム州 プレク・スバウヴ
  • 没年月日 : 1998年4月15日 (72歳 没)
  • 死没地 : カンボジア ウドンメンチェイ州
  • 所属政党 : カンプチア共産党(クメール・ルージュ)
  • 配偶者 : キュー・ポナリー(1956年~1970年代)
  • 9人兄妹の8番目として生まれた。

民主カンプチア首相・カンボジア共産党中央委員会書記長を務めて、クメール・ルージュの精神的指導者。カンボジアの国内で知識人や旧体制の指導者への迫害・虐殺などを主導した。

本名はサロット・サル。この本名だがポル・ポト自体は否定している。しかしポル・ポトの兄妹のうちポル・ポト政権下の中生き延びた3人のうち1人のロット・スオンは「ポル・ポトはサロット・サルだ」と述べている。通称は「一の同志」「コード87」「バン・ポー(年長者)」などがある。

この事件は現地の方の心にずっと残るものになるだろう。

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