セーラム魔女裁判の町で3つの心霊を探る!

セーラム魔女裁判の町は、歴史的背景と神秘的な雰囲気を併せ持つ魅力的な町だ。

この地は、過去に行われた魔女裁判の舞台として知られ、その歴史は今もなお訪れる人々を惹きつけている。

この記事では、魔女裁判の町の歴史や観光スポット、心霊スポットについて詳しく紹介しようと思う。

目次

セーラム魔女裁判の歴史

セーラムは、マサチューセッツ湾植民地の一部として設立された町で、17世紀末には小規模な農村社会だった。

ピューリタンが信仰の中心であったこの地域は、宗教的教義が人々の生活の隅々まで影響を及ぼしており、厳格な宗教観と倫理観が支配していた。

当時の人々は神や悪魔、そして魔女の存在を非常に強く信じている人が多かったという。

宗教的な不安や経済的な対立、さらにネイティブ・アメリカンとの戦争や天然痘の流行といった様々な困難が重なり、社会は疑心暗鬼と不安の渦と化した。

このような状況が、セーラムでの魔女裁判の発端となる土壌を育てたのだという。

セーラムについてはこちら

魔女裁判の発端

1692年1月、セーラム村の牧師サミュエル・パリスの娘エリザベス(9歳)と姪のアビゲイル・ウィリアムズ(11歳)が突然、奇妙な発作や叫び声を上げるなどの異常な行動をするようになったという。

医師が診察をした結果、「原因不明の病」と診断されましたが、当時の人々はこれを「魔女による呪い」と見なし、魔女の存在を疑い始めた。

その後、エリザベスとアビゲイルはさらに数人の村の女性を「魔女」として名指ししたのだ。

この告発は瞬く間に広がり、村の他の住民たちにも魔女の疑いがかけられ、告発は連鎖的に増えていったのが事の発端だ。

裁判の進行と告発された人々

1692年春から夏にかけて、セーラムでは魔女裁判が本格的に始まった。

特別裁判所が設立され、告発された人々は裁判で証言を行った。

多くの場合証拠は曖昧であり、また「悪魔と契約を交わした」といった目に見えない証言や、被告人の「幽霊」が告発者を襲ったという証言(幽霊証言)をもとに有罪とされた。

有罪判決を受けた者たちには厳しい刑罰が課され、19人が絞首刑に処され、さらに1人の男性が石を積まれる拷問(プレス拷問)で死亡した。

告発者の中には、社会的地位が高い者や高齢者、さらには敬虔なキリスト教徒であった人々も含まれており、彼らの罪状は多くが疑いだけだった。

裁判の終焉とその後

1692年の秋、裁判に対する疑念が高まり始めた。

マサチューセッツ湾植民地総督ウィリアム・フィップスは、裁判の公正さを疑い翌年の1693年には特別裁判所を解散させ、全ての被告人を赦免させた。

裁判は終わりを迎えたが既に多くの人々が命を落とし、地域社会は分断され被告人やその家族には深い傷跡を残した。

後年、裁判に参加した裁判官や牧師はその過ちを認め遺族に対して謝罪が行われたそう。

1702年にはマサチューセッツ州議会が正式に裁判の誤りを認め、1711年には遺族に対して補償金が支払われた。

魔女裁判の町の観光スポット

セーラム魔女裁判の町の観光スポットについて、詳しく紹介したいと思う。

セーラム魔女博物館

セーラム魔女裁判に関する最も有名な博物館の一つだ。

展示を通して魔女裁判の始まりから終焉までの詳細な解説や、当時の社会的背景について学ぶことができる。

見どころ

ロウ人形や映像、オーディオガイドを通じて、当時の事件の流れを再現し裁判の恐怖を味わえる。

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呪いは伝染する…
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